医療費と医療、医師と医者

淳芳堂の日記~くすり屋さんのつぶやき~

2010年10月25日 11:44

厚生労働省が2025年度の国民医療費を推計したところ、2010年の37兆5千億円から、1、4倍の52兆3千億円になるという(北海道新聞10月23日記事から要約)。

介護総費用は、2009年度7兆5千億円、これが2025年には2、5倍の19兆円になります(朝日新聞7月27日記事から要約)。

仮に本来の医学や医療があるのであれば、これらの数字は、年々、減少していかなければなりません。

実際のところ、これらの費用だけではなく、薬(化学薬剤)が増え、病気も増加して、病人も増えています。
更には「医師が足りない」という。

「医学・医療」が存在しているのであれば、患者様が少なくなるのですから、医師の必要性が少しずつなくなり、医師になりたがる人も少なくなります。

もともと、あらゆる生命は「自分の生命を守る医者」ですから、国家資格の「医師」など無用の存在です。

さて、現在の医師が行う医療は、原則として「アロパシー療法」です。
これを一般的には「対症療法」と呼んでおりますが、正確に言いますと「逆療法(アロパシー)」です。

つまり「自然治癒力に逆らう」療法です。
こんなもの、医療とは言えません。

本来の医療を下記に紹介いたします。

「自然治癒力を活かすー難病治療の決め手」という書籍があります。

医学博士・小倉重成著 1973年10月創元社刊です。
著者は昭和20年に千葉県木更津市にて開業されました「町医者」様です。
以下、同書から引用します。

その頃は私みずからが脚気類似症状の問屋みたいなもので、夏はだるく、冬でも疲労しやすい状態で、夜など疲れ過ぎてかえって眠られぬくらいであった。
(中略)
その吾が身が、正しい食事に切り替えて行くにしたがって徐々に疲れをおぼえなくなり、身が軽くなっていくのに、自分ながら驚いたものである。
食事が変わって体重が減っていったので、周囲の者が心配し、精神科に診てもらったらとまでいわれたが、私は、とにかく疲れずに仕事できるし、長年患った皮膚病とも縁が切れたので、そのまま続けていた。

勉強も今までと違い、能率はあがるし、記憶力もよくなるし、新しい知識欲も沸いてくるし、といった具合で、「玄米先生」と呼ばれる頃には嘘のように体力がついてきた。

町医者を四十年もやっていると、鼻たらし小僧のときに診た患者さんが、いいお父さん、お母ちゃんになって、「先生しばらくです」などとやってこられる。
私もずいぶん年をとったものだなあと思う。

かと思うと、腰の曲がったおじいちゃん、おばあちゃんが、「先代の先生はどうなさいましたか」などと訪れる。
どうやら玄米菜食になった私は、以前より若返ったらしく、倅(せがれ)と感ちがいされるらしい。

看護士「昔も今も同じ先生ですよ。」
患 者「そんなことないでしょう。以前はもっと年とった先生でしたよ。私は先代の先生に診てもらいたいんですよ。私の目のくせをよく知っててくれるのですよ。」

窓口でねばった御老人には看護婦もほとほと手を焼いていた。
それほど、以前のだるかった頃の私は老いていたのかもしれないし、その後、自然食になってから若返ったのかもしれないが、若返ると貫禄もなくなるものかと苦笑したものである。

もっとも、私がもし親子と間違えられるほど若返ったとすれば、それは必ずしも玄米菜食・一日一食・鍛錬のせいばかりではない。

日常生活の苦労をほとんどしないで過ごさせてもらっているからでもあると思う。
初診料も知らない町医者が他にいるだろうかとよく従業員に笑われる。

私は医者が保険事務に月の三分の一をしばられることは、医者の退歩だと思っている。
診察に追いまくられた上に、夜は、保険事務をしていたのでは勉強できるものではない。

この点、私は請求書を一枚も書かず、診療点数も知らずに、治療にたずさわれる自分をさいわいと思い感謝している。

それにしても現今の保険点数が、技術、薬、注射を優遇し、「一に養生、二に薬」と、なるべく薬や注射を用いずに治す方法を病にならない方法を指導するのを冷遇しているということぐらいは、私にもわかっている。

私はよく一人の患者に一時間近く話をすることがある。
、またはたいてい重い患者や、長わずらい、いくつも病気を持っている人に対してではあるが、ぜひ自身の治る力を発揮してもらいたい、病から脱却してほしいと願って、つい話に熱が入る。
その間、看護婦はなんとか他の患者を待たせまいとずいぶん気を使っているようである。

あるとき看護婦から、「先生、一日中話しても初診料に変わりはないし、再診も00円ですよ」と、言われた。
別に井戸端談義をしているわけではない。

私が一時間の話をするのには、四十年の体験と勉強の積み重ねを土台にしているのである。
たしかに損得など考えたていたら、病気にならない話など一時間もしゃべれるものではない。

 引用終了

この著者こそ、医師であり「医者」であります。

「病にならない方法を指導する」のが「医者」です。
患者様の顔を見ただけで、病気名を当てるのが、本当の名医です。

実際「医者」が、患者さんに処方箋を書くには、最低、一時間位の会話が必要となります。
患者さんは、その処方箋に沿って、心の持ちようと根性を入換え、自分が努力して、食生活を中心とした生活習慣を改めなければなりません。

病気を治すのは、自分の氣付きであり自分の精進であり、
自分の自然治癒力です。


最後までお読みくださってありがとうございます。